カテゴリー別アーカイブ: つれづれ

この美しい5月

5月になると中井英夫の短編を思い出す。
タイトルも忘れてしまったが「薔薇への供物」に収録されていた作品だと思う。
美しい少年だか青年だかがいて、遺書のかわりに薔薇の名前を列記した紙を遺して死ぬ。
状況は自殺なのだが自殺の理由が全く見当たらない。
残された友人である主人公はどうしても理由を知りたくて、
その暗号を解くべく薔薇の名前と色を調べ始める。
暗号は解かれ最後に遺書の内容が翻訳されるのだけど、それは
この美しい5月に美しい薔薇に囲まれて美しいまま死ねるこの僕の幸せをわかってくれますか
というような内容だった。
(…という話だった気がするのだけど、脳内で改変されていたらすみません・笑)
5月になるといつもこの「遺書」を思い出す。
「天気がいいから自殺してみるか」くらいの感覚がよいと書いていたのは
寺山修司だった気がするのだけれど、その文章を読んだときも
5月を勝手にイメージした。
わたし個人は5月が好きなわけでも初夏が好きなわけでもないし、むしろ暑くなってきて
血圧も下がってどちらかといえば憂鬱の始まりみたいな月なのだけれど、
それでもこの作品のおかげか「5月」という言葉は美しいイメージと縫い合わされている。
この美しい5月。
*

ここのところあまりに人生のいろいろがいろいろだったので、
自分の心にもひとつくらい手当てをしてやってもバチは当たらないと思い
長の念願を叶えてアンティークのケビントを購った。
あまりに嬉しくてベッドに入ると見えるところにまだ何も入れずに
置いて眺めている。我ながら阿呆すぎる。

作詞でこもってディスプレイに向かってずっと椅子に固まっていたら
腰にキたので只今着物生活中。すごく楽です、ビバ日本文化。

ちくちく。


クロシェではなく細糸のレースストールが欲しくて
ずっと探してきたのだけどちっとも見つからず、
あっても細幅で首に巻く程度のものだったり、
幅広のものはパーティー仕様でラメ入りだったりして
想定どおりのものがあまりに見つからないので
自分で作ってしまうことにした。
服飾の勉強をしていた頃に問屋街で大量に買った
幅広のトーションレースがそこそこ残っているので
それをちくちくと接いでゆく。
少し重いけれどクロシェのものより風が通らないので
春先の肌寒い日も真夏の冷房除けにも程よいだろう。
レースをすくう銀の針が窓越しの春の陽を縫いとめる。
淡い春のロォブになる。

井上くん大活躍

たいそう体調を崩してしまい、寝込んでおります。
平熱35.4℃の身に39℃の境界はきつかった…
以前4人で生牡蠣食べてわたしだけノロをひいたことがあるのですが、
39℃前後になると夢なんだか現なんだかもう境目が判らなくて、
苦しくて眠れないのか、はたまた短い夢を視ては目醒めているのか判然とせず。
ホッカイロ2枚貼っても寒気でぴるぴる震えながら毛布にくるまってました。
やっと37度の台まで下がってきたのでPCの前に少し座っていられる。
そんな中、一番病状の重かった時期にキルシェの一大事!と
いうような外的事件が勃発し、もうどうしたら…と泣いていたら、
井上くんが男を見せてひとりで解決してくれました。
もう二階級特進くらいの大活躍でした。
ありがとう相棒。
おまけにウィダーインとアクエリアスまで差し入れてくれて、
本当に相棒さまさま。感謝しております。
まだまだ完全復調には時間を要しそうですが、キーボードが打てる
くらいまで回復したヨロコビを噛みしめつつ、またふとんに戻ります。
減った体重も戻さなければ。がっくり。

白と黒

遅ればせながら今年最初の日記。
Omegaの視界の挿入歌である「白と黒の祭儀」が
なんとカラオケに入ることになったそうです。
あんな変態な曲を入れてくださるなんてちょっと感慨深い(笑)。
唄ってくださる方がいらっしゃるかもしれないので、
ここでコッソリ最初のねこ語をカタカナで公開。
「ミ・カヤミャルキャヤ アメキャラタサ・ワ」(だったはず)
皆様ふるって唄ってやってくださいませ。
最高音がF#(上のファ#)だったような記憶なのでちょっと高めかも
しれませんが、そこはイキオイでよろしくお願い致します(笑)。
白と黒といえば新年のお買い物、うさぎ2羽。

実はこれ、背中にファスナーついててブランケットのカバーなんですが、
すっかりただのぬいぐるみ(抱き枕?)として愛でられております。
何故か眠り目顔に弱いんです。
しかもうさぎ。
しかも白黒。
撃沈。
そんなみとせですが今年も宜しくお願いします。

午睡の窓辺


寝台に横になると足もとの方に見える窓。
マンションの味気ないサッシが厭で、
自分で古い建具を加工して今こんな状態。
すり硝子とダイヤ硝子、厚さの均一でない気泡の入った硝子は
この窓が本当に古いまま保存されていたことを示している。
寝台から午睡の窓を見上げると
このまま目が醒めなくてもいい、
もうここで死ぬ!とか言いたくなるので
最近自由な時間さえあれば眠ってばかりです。

永遠の曇天

10代もまだ前半の時分から夢は隠居であったが
実はその夢は今も全く変わっていない。
死に近いように静謐に生き
その静かな生と境目のないような死があればよい。
祭りが嫌いなわけではないけれど
祭りの後の散らかった目の前の空間を
ひとりもくもくと片づけていると
世界やヒトがどうしてか嫌いになる。
その起伏が苦手だ。
淡々と静謐に生きて死ねたらそれでいい。
長いことずっとそう思っているのに
なかなかそういう風には生きられず
わたしは今も静かな隠れ家を夢想する。
その隠れ家はダイヤの格子に
すりガラスが嵌った小さな窓を持つ古い家で
わたしはそこで永遠の曇天を過ごす。

風に揺れる白

天気がいいのでカーテンを洗う。
これは毎年5月の恒例行事。
花粉も終わって天気もよくて風も気持ちいい。
この季節にはいつも家のメンテナンスをする。
白いローンのカーテンやシーツが風に揺れているのを見ると
昔入院していた病院の屋上を思い出す。
病院の屋上には不思議な浮遊感がある。
近年暗い色の家具が重く感じられるようになって、
新しく買うものは白っぽいものが多い。
趣味が変わったのかなと思っていたけれど、先日友人に
「昔からファブリックは白だったし、
 医療戸棚が 欲しいと前から言っていたじゃないですか」
と指摘されて気づく。確かに全くその通りでした。
昔から何も変わっていない。
どこまで行っても病室のような、浴室のような部屋が好きなのだ。
マンションの難は色気のないざらついた壁紙。
漆喰でも塗れたらいいのにといつも思う。
最近寝る前にベッドの中で日記をつける。
デジタルではなくアナログで、
モリスの蔦柄を配した万年筆で、インクはブルーブラック。
「オメガの視界」で一緒にお仕事をさせていただいたシナリオで原画の
閂さんと先日お茶を飲んでオカルトやら幻想小説やらの話をしていたら、
昔はそうやって布団の中で灯りひとつで物を書いていた、という話がお互い
共通していて、デジタルで修正や書き物は圧倒的に楽になったけれど、
やはりアナログのあれは代え難く甘やかでしたね、と、
その会話がずっと心の中に残っていたので、部屋をメンテするときに
少しベッドの位置をずらして物が書ける隙間を作った。
日記と言ってもその日にあったことを書くわけではない、
視た夢のことであったり、他愛ない妄想であったり、
試薬瓶を透かして視えた何かであったり、どうでもいい作り話であったり、
何でもいいのでただ何か文字を書く、それだけの雑文帖。
昔つけていたのと同じもの。
ずいぶん文字を忘れているので辞書の頁を繰る。
覚束無かった文字が明確になり、隣にある文字や言葉が目に入る。
世界がわずかに明示される。
けれどそれらは所詮ベッドサイドの小さな灯りの中に鎖されたもので、
誰に知られることも発表されることもなく頁の闇に閉じられる。
それがとても心地よいということを、久しぶりに思い出す。

PCのない生活に

たまに戻りたいなと思います。
ちょっと前まではPCなしで生きてたんだし、PCはおろか、携帯だってなかった。
それでも問題なく暮らせていたし、不自由もしてなかったのだし。
とはいえ今となっては世界の主な通信手段がメールと携帯電話になっているので、
もうPCとネットがなくなってしまうと非常に困るわけですが。
それでもたまに、選んだ便箋に選んだインクを装填した万年筆で文字をしたため、
買い置きの綺麗な切手を選んで投函したり、ベッドに入って眠る前に小さなあかりの下
ブルーブラックのインクで日記を書いていた、あの時代がどうにも美しく感じられて
しまうことがあります。
もう調べ物なんて全部ネットでやっているのに、未だに辞書が捨てられない。
本も漫画もCDも、場所をとってもやっぱり実体のあるものが欲しい。
生まれ育った時代文化のせいだろうけれど、アナログへの執着が未だに捨てられないようです。
さりとてアナログの効率では今の社会の速度にはついてゆけず。
デジタル化して処理速度が上がったことで効率はよくなったし、
やれることも増えてそれぞれの精度も上がっていいこともたくさんあるけれど、
その反面、わたしの脳みその処理能力をとっくにPCが上回ってしまっていて、
なんだか急流の中で必死で泳いでいるような気持ちになる。
アナログの、ページを1枚ずつめくっていたあの丁寧さが、生き方の丁寧さにも
繋がっていたような気がします。
タッチタイピングのスピードに較べると手で書く文字の方が遅いので、
最近文字を書いていると脳の方が先走ってしまって、一文字飛ばしたり
へんを書いてるうちに次の文字のつくりと混ざってしまったり、
書くスピードが追いつかなくて一文先を忘れたりする。我ながら呆れます。
まあなんのことはない、わたしの脳みそがポンコツなだけなのですが(笑)。
もうPCも携帯もなしで生きてなんかいけないのに、
たまにPCも携帯もなかった頃の緩やかな時間の流れが恋しくなって、
引きこもって人形を削ったり絵を描いたりしたくなるのかもしれません。
でもそんなPCも携帯もなかった時代にすら、さらに古い時間の流れが恋しくて、
さんざんアンティークの家具だのなんだの買い集めていたわけなので、
ただの懐古病・時代錯誤だという可能性もかなり高いのが微妙なところです(笑)。

憑キ物事始メ

関東では松も明けたこんな日に、今頃新年のご挨拶を申し上げます。
明けましておめでとうございます。怠惰であいすみませぬ…。
今年は生まれて初めて明治神宮に参拝して参りました。
東京生まれで東京育ち、なのに生まれて初めての明治神宮。
いや、正月のニュース映像などを見るとあまりの混雑に恐ろしくて
近づく気にもなれませなんだ。
商業化された観光名所のようなチャラいのを想像して行ったんですが、
南の大鳥居は本当に巨大で、塗られていない古色ある風情と貫禄とに圧倒され、
鎮守の森は広くしんと澄んで、神様に謝罪してひれ伏したくなりました。
すみませんすみません神様、舐めておりました。
人のいない時期に是非来たい。
思えば真夏、死にそうな気温と湿度と排気ガスの中原宿駅に降り立つと
同じホームなのに新宿方面へ向かう側だけに縦に空気の断層ができていて、
そちらの面だけ壁のように気温も低く空気も済んで感じられたことが多々あった気が。
そして本殿にお参りをして、北の鳥居の方へ抜ける道を歩いていたら、
突然頭に何かがバサっと。 友人に見てもらったら、髪に落葉の小枝が
ついているとのこと。 絡まってしまっていてなかなか取れません。
連れに漸う外してもらったら、5枚葉のついた枝先でした。
「目をつけられましたねえ(笑)」
と友人に笑われつつ、へんなもん連れて帰らなければいいや、などと軽口で
言ったものの、 潔斎の森の中に「へんなもの」なぞいるはずはないのでした。
友人の指摘が正しい。
今年から無理はしすぎずやりたいことを自分らしくやって行きたいと
そう祈念してすぐのこと、英霊の恵みと加護があればよいなあと願って
思っております。
締め切り目前の作品があるのでお休みはお終い、只今今年初の修羅場中です。
もとの世界に戻ってまいりますので、皆様どうぞ今年も宜しくお願いいたします。

年の瀬というのに

バリバリと仕事メールを書いたり送ったり電話したりしているみとせです。
何故だ。
まあ、12月まったりしていたツケかもしれませんが(笑)。

この12月はこれまでの人生で一番無為にまったりと過ごしていたかもしれません。
学生の頃もこんな感じだった気はするけど、学生の頃はそれでも学校という縛りがあって、定まった時間に決められた場所へ通い、最低でも6時間程度は学校という枠に固定されていた。それ以外の時間はモラトリアムで自由でしたが(笑)、1ヶ月と少し休んでみて、学生の頃に愛していた自分のココロ、そういうものを少しだけ思い出した気がします。
そのココロは、それがあるといっぱしのオトナの社会人としては(こんなフリーな仕事をしていてすらも)生きて行き難かったので、とりあえずその場限りとうまくそのココロに蓋をして、痛くない痛くないと言い聞かせ誤魔化し誤魔化しやっていたのですが、それが長い時間のうちに、気づくと逆にその蓋が外れ難くなってしまっていた、そんなものです。
蓋が外れ難くなったのは、中にあるものがとても大切だったから。
でも大事なものが護れるのはいいけど、蓋が開かなくなったんじゃ本末転倒です(笑)。
今年は唱歌のアルバムも出したし、WEBラジオや声優、スタイリスト(茶太りんのシングルのジャケット写真のスタイリストとコーディネイトは実はわたしです)などなど、といろんな仕事もさせていただいて、とても充実したよい一年だったと思います。
やった仕事は全て全力投球で振り切って、後悔はありません。
そしてそれらの仕事と同じだけ、疲れきって心も体も動かなくなって取ったこの休みで得たものは大事だと思っています。
最も簡単なところだと、「人って休まないでいると壊れちゃうんだ、休まないとダメな生物なんだ」ということが判った(今さら)だけでも、人生の大きな収穫でした(笑)。
そんなわけでコミケにも行かず、この12月は自分に「休むのは罪じゃないんだ」と言い聞かせなくても休めるように、なるべく引きこもっていました(笑)。11月にお部屋の模様替えもしたので、ちょうどいいシェルターになりました。
来年にはまた心に栄養や潤いを取り戻して、また自分の描きたいものを描きたいようにつくっていく、そんな「みとせ」で頑張りたい所存です。
わたしは世界を描くことと、作詞と、唄うことしかできません。
作曲家の方々、アレンジャーの方々、奏者の方々、エンジニアさん、デザイナーさん、ディストリビューター様やメーカーの皆様…と、たくさんの方のお力添えがなければ何一つ世に送り出せない。
そしてそれらわたしの送り出したものを受け入れて愛してくれる人がいなければ、
わたしはこの活動を自由に続けていくこともできない。
聴いてくださるみなさま、愛してくださる皆様に無限の感謝を込めつつ、これが今年最後の日記です。
どうぞみなさまよいお年を。
新年のご多幸をお祈りしつつ。

※画像はボロボロだったいただきもののブライスをリペア&カスタムしたもの。
ナイフの削り跡や髪の熱負け、アイギミックの破損など、あちこち傷だらけで
可哀相な子でしたが、ブライスさんを懸命に治療(笑)していたら、自分の心も
不思議に癒えました。ブライスセラピー、新しい(笑)。