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「雛の遊び」

雛の遊び

九谷焼茶器揃い

桃の節句の頃が来ると、生家にあった雛飾りを思い出す。家をなくしたときに手放してしまったけれど、7段だか8段だかのとても豪華で美しい雛飾りだった。人形だけでなく小さな漆器まで並ぶもので、よくそれでままごとをしていた。ついていたオルゴォルだけが今も手元に残っている。

着物を着替えて帯締めて、という歌詞の唱歌のように、学校から帰ると晴れ着を着せて貰って母と何をするでもなく畳の上ひなたぼっこをして過ごした。淡い色の菓子はほんのりと甘かった。

そんな記憶と何故か直結するのがこの赤い九谷の茶器揃い。煎茶用の茶器のため、ミニチュアを思わせるサイズだからかもしれない。桃ではなく桜だけれど、手描きの花びらに幼いような華がある。

唯一手元に残ったオルゴォルの螺子を捲いて、この茶器でお茶を入れる。気にいりの和菓子を添えてひとりぼんやり過ごす日には、子供の頃の自分と今の自分とが目を合わすでもなく向かい合って、ままごと遊びをしているような気がするのだ。

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九谷焼の煎茶器揃い。作家ものらしいのだけれど、たまたま見かけたものを一目惚れでそのまま買ってきたので今となっては詳細不明。湯冷まし用の片口の縁が、手描きのモチーフと同じ桜の花びらのかたちにひねってあって気遣いを感じる。薄手に焼かれた肌は硬質で、春先のとっておきの器ではあるのだけれど、中国茶を飲むのにも程よいサイズだったりする(口径が5センチくらいしかないのです)。後ろにこっそりいる兎雛はみとせ作、高さ3センチ未満のミニマムサイズ。

九谷焼 煎茶器揃い/現代・都内ショップで購入

「続・大正浪漫」

huyou

緋襦袢の紅、或いは胴裏に張られた紅絹の色の艶やかさと悲しさは、花街の格子に灯る灯りの艶やかさと悲しさに似ていると思う。

花街といえばやはり『宵待ち草』と夢路の女を思うのだけれど、あの紅は夢路の女の儚さよりも、華宵の艶と孤高を思わせる。
零落しても倣岸に美しく、翳りすらも身に纏う装飾に変えて。甘き美酒のごとき悲しみの馨を帯とともに解く。

と、言ってもこの着物はそこまで花街の馨りはしない、むしろ華宵が少女画として描いた痛みや、中原淳一のセンチメンタリズムに近いけれど。

現代の街着としてこれを着るならば、その悲しみは裡にある紅絹のように秘め、センチメンタルとノスタルジーで偽装するのがいい。
すれ違いざま流れてくる密やかな古色と退廃に、敏感な人はふと振り返る、けれど家に戻ればすぐに忘れてしまうような、そんな。

行李から出てきた和服。織の着物で図案化された柄になっているため、花の種類が判別しにくいです。おそらく大正頃か昭和の初期のもの、胴裏は紅絹です。たいそうなクラスの着物ではないのですが、色柄のせいか妙に艶やかで、そのぶんだけどこか悲しいというか、没落家系のお嬢さんらしい着物なんじゃないかと思います(笑)。
ただし、古いものだけあって白い花の上に思い切りシミが…。

アンティークお召し/大正、もしくは昭和初期

「とおりゃんせ」

hanakusudama

通りゃんせ、通りゃんせ、ここはどこの細道じゃ、天神さまの細道じゃ。

子供の頃から大好きだった唄、とおりゃんせ。わたしが子供の頃をすごした町には、秋祭りなんかでは大きな縁日を張る、ちょっと有名な神社がありました。お祭りの日には人と提灯の灯りででごった返すけれど、普段はほとんど人なんかいない。そしてその神社はちょうどわたしの家からは子供の足で行ける限界いっぱいの距離くらいで、地域の子供の遊び場としてはいちばん端にあたるところでした。

それは子供のわたしにとっての世界のはて。その外はもう自分にとっては異国というか、もっと言ってしまえばその先にはもう何もないような感覚の場所。一種の結界のようなところ。とおりゃんせとくちずさんだら本当に帰れなくなるような、だから怖くておしだまって夕暮れになると逃げるように帰る、あの暗い土の景色がわたしの原風景のひとつ。

思えば世界のはてが神社だなんてできすぎているけれど、きっとあの昼でも薄暗いような場所がわたしの世界のはてだったことが、わたしのこころに与えた影響は大きいのだと思います。

神社の向こうどころかもっともっと遠くにだって簡単に行けて、今は世界の外側に暮らしているわたしですが、先日その神社に行ってみたら、やっぱりその空間と空気は「世界のはて」のままでした。戯れにとおりゃんせとくちずさんでみようかと思ったけれど、やっぱり怖くてやめてしまった。

世界のはての結界の魔力は、そこをはなれた今もやはりわたしを縛っている。

大人用の着物だったらわたしが今着たかった…と真剣に悔しく思ったこの一枚。紅色の綸子に花くすだまの染め。こうやってみると子供用とは思えない趣味だけど、丈は100センチないのです、悲しい。もう子供用の帯はないので(実はあるけどこの着物には合わない)、大人用の絞りの帯でごまかし(笑)。刷り込みなのか、今も着ているわたしの着物はこういう感じのものが多い気がします(笑)。いつまでしまっておいてもしかたないし、着用するにはちょっと汚れもあるので、人形作家のおともだちに使ってもらおうかな…と思ってます。人形によってはこのまま着せられると思う。

noah_hanakusudama

追記:
そしてほんとに着せていただいた。
『擬似少女楽園廃墟』でもお世話になったノアさんのお人形。たいへん美人な子で感無量。
ほんとに全くお直しをしないまま着せたのに、誂えたように丈も裄もぴったりだったそうで、さらに吃驚。
顔がとても好きな人形だったので思わず欲しくなったけど、90センチもある人形を置く場所はないので未練を残しつつ諦めました。

遠方の展示でどなたかに買われていったらしい。大事にしてもらっていることを願いつつ。

DollhouseNoah作品
2003.3.エコールドシモン展
(新宿紀伊国屋ギャラリー)

錦紗四つ身
(自宅行李より発掘)

「大正浪漫」

kiku

父の家は実はむかしは土地で一財あったようなお屋敷だったという。確かにわたしが子供の頃はなんだかやたら季節ごとの行事も華やかで、まわりには妙に「おにいちゃん」とか「おねえさん」とか「おじさん」とか、大人が多かった。あれは思えばあちこちにうちが貸しているマンションやアパートがあったせいなんだろう。母の実家は養蚕をしていたし、土地の名士らしくて家の裏手には今も旧い蔵がある。おまけに父方の祖母は着道楽な人だったりしたこともあって、我が家には以前、新旧とりまぜて着物がいっぱいありました。母のものなんだか祖母のものなんだか、はたまたさらにその上からのお下がりなんじゃないかというものまで。
さまざまな事情があり、我が家系は見事に没落したそうですが(笑)。

そのため残念ながら、和服なんていう現代では着る回数の少ないものは引越しのたびに減っていき、今ではごく一部のものしか残っていません。

わたしはそういう習い事を全くしていない割にはけっこう和服を身に着ける習慣があるほうだと思います。自分で着るにもふるい和服は独特の色味や風合い、情緒があって大好きなんですけど、どうしても保存状態がよく保たれていなかったり、せっかく状態はよくてもむかしの人は今より全然小柄だったりしたこともあって、丈や裄が足りなくて着られないものもあったりするのが残念です。

とは言っても着付けも何も、実は全部母から教わっただけのみようみまね。帯や小物の合わせ方にも格とかいろいろあるんですけど、わたしは気にせず洋服と同じに好きなように着てしまいます。今は和服っていうとフォーマルなものばかりが中心でしょう? フォーマルっていうのは常に規則があって、その行儀のよさが結局服をつまらなくしてしまうのは和洋共通。だったらそんなものを大事に抱えて死蔵してしまうより、自由に艶やかに破壊して装いたい。

旧い着物にお気楽な半幅帯、汚れが目立たないから襟は色つき柄つき。柄on柄なんてあたりまえ。ちょっとくらい虫が食ってたって着ちゃえばわからないし(笑)、汚れるのを気にしておとなしくガチガチになって着るんじゃ意味がない。カネコの服と同じ思想、日常着としてのコーディネイト。旧い時代の夢を現代の粋で軽やかに装う。

こんなところにも、『どこにもない異国』は息づくのです。