「続・大正浪漫」

huyou

緋襦袢の紅、或いは胴裏に張られた紅絹の色の艶やかさと悲しさは、花街の格子に灯る灯りの艶やかさと悲しさに似ていると思う。

花街といえばやはり『宵待ち草』と夢路の女を思うのだけれど、あの紅は夢路の女の儚さよりも、華宵の艶と孤高を思わせる。
零落しても倣岸に美しく、翳りすらも身に纏う装飾に変えて。甘き美酒のごとき悲しみの馨を帯とともに解く。

と、言ってもこの着物はそこまで花街の馨りはしない、むしろ華宵が少女画として描いた痛みや、中原淳一のセンチメンタリズムに近いけれど。

現代の街着としてこれを着るならば、その悲しみは裡にある紅絹のように秘め、センチメンタルとノスタルジーで偽装するのがいい。
すれ違いざま流れてくる密やかな古色と退廃に、敏感な人はふと振り返る、けれど家に戻ればすぐに忘れてしまうような、そんな。

行李から出てきた和服。織の着物で図案化された柄になっているため、花の種類が判別しにくいです。おそらく大正頃か昭和の初期のもの、胴裏は紅絹です。たいそうなクラスの着物ではないのですが、色柄のせいか妙に艶やかで、そのぶんだけどこか悲しいというか、没落家系のお嬢さんらしい着物なんじゃないかと思います(笑)。
ただし、古いものだけあって白い花の上に思い切りシミが…。

アンティークお召し/大正、もしくは昭和初期