カテゴリー別アーカイブ: つれづれ

理想のお部屋を夢想する

模様替えをするとそれをきっかけに理想のお部屋を夢想します(笑)。
11月に模様替えをしたので、こんな部屋だったらいいのにという理想を
思い描いてみたり、サイトで意味もなく物件情報を検索してみたり、
それぞれの間取りによる暮らし方のシミュレートをしてみたり、
別に引っ越すわけではなくてもこれは意外に楽しい妄想遊びなのです。
個人的な理想は昔からあまり変わっていなくて、敷地は小さくていいので
吹き抜けロビーがあって天井が高いこと、部屋の中に階段があること
(階段フェチなので視覚的インテリアとしての階段が欲しいのです。
 それで階段の下はびっしり本棚だとさらに理想的)、
上階に広いお風呂があって寝室とつながってること(横着)。
お風呂に入ったら何も考えずそのまま寛いで寝たいんです!
ちなみに庭は要りません。ベランダやお部屋で蔓性植物育てるくらいなら
自分でしますが、庭の手入れは庭師に任すのがみとせ的美学なのです。
…しかし実際がところは妄想通りのお部屋を具現化できる経済力はないので
(何せ東京から離れたくない上、駅から遠いのは絶対に厭という我儘ぶり)
ありものの物件から選ぶしかないわけですが(笑)。
世知辛うございます。
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今回の模様替えで寝室からPCを追い出してしまったので、寝室の音楽環境は
PCと切断されてしまいました。最近寝室で音楽を聴くために、わざわざ自分の
唄から鬱な曲ばかり選んだり、アイリッシュとかいくつかセレクト盤を作って
CDに焼いています。この行為がなんだかバンドを始める前の、ただのリスナー
だった頃を思い出して、ちょっと懐かしいような嬉しいような。
あの頃のわくわくを感じました。

ブライス

ちょっとご無沙汰しておりました、みとせです。
すっかり冬らしくなってきて、遠慮なくもけもけした服が着られると思うと
嬉しくてなりません。真夏の薄羽のような綿ローンも勿論好きですが、冬の
空気をたくさん含んで柔らかいニットやファーやおふとんには触れて心地よい
せいもあって愛着がまた深いです。
秋冬からは桜詩舎の作品の方にシフトしつつある生活ですが、
怒涛の前半戦からリフレッシュして新たな気持ちで作品に臨むべく、
部屋を模様替えしたり、披露困憊で底までカラカラに(それこそ振ったら
カラカラって音がしそうなくらい!)なってしまった精神力や脳みそを
回復すべく、作詞や仕事の合間にちょっと手遊びをしたりしています。

画像はブライスといって、アメリカ生まれの量産型着せ替え人形。
頭がでっかい(実際3頭身です)リカちゃんだと思ってください(笑)。
後ろに紐がついてて、引っ張ると目が4種類にチェンジするギミックが
ついてます。けっこうシュールです。以前は「顔が怖い…」と思っていたの
だけど、いつからか「よくみたら可愛い気がする…」と思うようになり。
デフォルトのままずっと飾ってあったんですが、突然思い立って自力で
顎を削りメイクを直し、睫毛をつけかえてカスタムしてしまいました。

ちなみに元の子→http://blyst.jp/replica/sbl-02.html
ブライスは洩れなく割れ顎(笑)で微笑み唇なので、顎削って口角下げて
若干むっすり気味になってます。人形は不機嫌顔の方が好き(笑)。

おもちゃっぽいのがまたブライスの魅力というか、球体関節とは違った
楽しさがあることに気づいてしまったみとせでございました。

みとせ家家紋

ネットの海から拾った「家紋ジェネレーター」なるもので
ワタクシの家紋を生成していただきましたところ…
みとせのりこの家紋
◆猫紋

ううむ、なかなかいいところをついてまいります、このジェネレーターさん。
わたしの素敵な友人のお姉さまも「薔薇紋」だったというし。とてもお似合い。
ちなみに本名でもやってみましたら…
かなり驚いたんですけど
◆雪紋

でした。
ジェネレーターさん、すごすぎ!
感動したので家紋ジェネレーターさんをご紹介します。
http://www.ayataka.jp/
このサイトの「FUN-遊戯-」というページ。
新しくできたお茶の告知サイトの企画みたいなんですが、
確かに電車の中でこの広告見たなあと…
実はその広告を見たとき、アルトネリコ1に出てきた「アヤタネ」を
思い出したみとせでございました。
追記:
さすがにみとせという苗字は本名ではありません(笑)。
母がわたしにつけたかった名前の候補として入っていたものなんですが、
父に「女子には普遍的な名前をつけて慎ましく普通の人生を送らせるのが幸せ」と
言われてつけられなかったのだそうです。
…そんな父の努力も虚しく、みとせの名を冠して普通の幸せには縁なく(笑)
過ごしておりますが、普通じゃないかもしれないけど唄が唄えてとても幸せです。

振袖ヲトメと春の午後

ちょっと前の日記でも書きました雑誌「PUSH!!」でのラストミッション、
先日取材と撮影を終了しました。
秋には同誌で「秋の英国式紅茶なヲトメ座談会」を実施しましたが、
今回は「春の着物座談会」。春先だったのと、わたしがコラムを卒業して
新入生さんとバトンタッチになるので、編集部から「卒業入学の雰囲気で
いきましょうか」という提案があって、それなら袴にするか、ということに。
さすがのわたしもコラムメイト+新入生合計4人分の袴は持っていないので
袴を調達したり、それぞれの出演者の方に個別に着物を選んでもらったり
(中原さんだけは自分の振袖をお持ちだったのですが、他のお二人は
 わたしの箪笥に詰まった着物から似合いそうなのをレンタルしました)、
コーディネイトや撮影場所を考えたりとなかなか手間のかかる企画でした。
当日の更衣室はわたしの家だったので、朝から自分の着付けとお迎え準備、
みんなが来たら3人分の着付けやアクセサリーコーディネイトと大忙し。
でも着付けてみるとそれぞれに思ったとおり似合っていて、手間暇かけて
準備した甲斐のある出来にひとりニヤニヤ致しました(笑)。
ちなみにコラムメイトの面子はおなじみ中原涼さんと佐藤ひろ美さん。
中原さんは赤地に渋い配色の染めの振袖+黒の袴でカッコ可愛く、
佐藤さんは京紫地に古典柄の華やかな振袖+ぼかし袴で上品クールに。
新入生さんには彼女の普段着のイメージに近い、黒地に薔薇柄の着物を
レースでアレンジしたロリィタ風味なスタイルにしました。
…ちなみに新入生はこのお嬢さんです。
ちなみにわたしは、「普段着だけどとっても気に入ってて、でも桜柄だから
桜の前までしか着られない」着物を着用。
卒業式というよりは、一級上の上級生が新入生たちの面倒を見ているような
そんな気分の一日でありました。
わたしの時代錯誤な部屋(笑)も女子の皆様に受けがよく、女子の皆さんが
時代錯誤な家具やレースやコサージュを見ては「可愛い~~!!!」と叫ぶ
オクターブ上の声を聴きながら、「嗚呼、やっぱり女の子っていいなあ」と
幸せな気分に浸りました。
掲載は4月発売号。
インタビューは脱線しまくりの笑いまくりでお腹が痛いくらいだったので、
これがどのようにまとまってくるのが想像もつきません(笑)。

あけましておめでとうございます

皆様新年あけましておめでとうございます。
昨日は大晦日にコミケというなかなかに狂気の沙汰な状態で、それでも皆様
例年と変わらぬ様子で足を運んでくださる方も多くて、ここ1年コミケに
自分のサークルで参加していなかったみとせとしては、いろんな方のお顔が
拝見できてなにやらこころの温まる嬉しい大晦日でございました。
「地獄歌占」もたくさんの方に手にとっていただけて嬉しかったです。
みとせのりこ、狂気の沙汰をさらに上乗せする大振袖をひきずって行ったのですが、
「地獄少女」の雰囲気作りにもぴったりだったようでファンの方のみならず
海外の方や原作もみとせもころんぶすも知らない方からの評判もよく、
三尺の振袖にたすきかけて(笑)設営努力した甲斐がありました。
去年は不測の事務所騒動やらいろいろあって音楽活動ばかりやっているわけには
いかない年でしたが、それもやっと落ち着いてきたので、今年はたくさんの
リリースとライヴを積極的に打っていきたいと思っています。
作ってるときがいちばんしあわせ、唄ってるときがいちばんしあわせ。
ままならない昨年でしたが、皆様の変わらない応援に支えられて頑張れました。
今年も至らぬながらがんばりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

欠けているということ

人間は、欠けている、何かが足りない、という状態に苦しんだり渇えたりして、
それを満たそうと努力したり足掻いたりするものです。
そうして何かを獲得して(それは物であったり実力であったり人の心であったり
様々ですが)、そして満たされて安定する。
そしてそれを「しあわせ」と人は呼ぶのだと思います。
でもものを作る人間というのは、完全に満たされていてはいけないのだなあと
よく思います。一瞬満たされて、そしてまた欠ける。欠けているときのほうが多い。
わたしなんかは幸いにしてとても恵まれていて、唄うことによっていろんなものを
満たしてもらってきました。ただ唄うことだけでも幸せ、そして今唄い続けられる
ことの幸せ、ファンの方が応援の声を届けてくださることの幸せ。
唄を唄いたい人がたくさんいる中で、わたしは今とても恵まれていると思います。
それでもやっぱり自分には今でも欠けているものがたくさんあって、
それはそもそもわたしが持ち得ないようなないものねだりでもあるのかもしれないのに、
そういうループに嵌ると欠けていることから目を逸らすことができない。
「欠けていると感じる」ことによって心は餓えるし渇くしとても苦しいし、
ときには世界中が自分を必要としていない錯覚に陥って世の中を怨んでみたり。
誰でも感じることだと思いますが、こういうのって実は「感じる」自分が
自分を苦しめているだけで、自分のせいでしかないのに実に処し方無い。
感じないように目を逸らしておくこともできるのでしょうけれど
(そしてそれは実はとても優しくて素晴らしいことでもあると思うのですが)、
そういう不安定さや苦しみから創作は生まれてくるのだといつも思うのです。
幼い頃はそういう悲しみや苦しみを創作に凝縮しきれなくて、
自分を傷つけてみたり人を傷つけてみたり制御が利かなかったものですが、
…今でも完全に制御できてるわけではないですが(苦笑)、
今はせめて人を傷つける分くらいは創作へ凝縮することができるようになって
きたので、欠落が悲しいときは敢えて目を逸らさないようにしてみたりします。
創作人というのは本当に子供で我儘で偏ったイキモノなのですね。
学生の頃はそうして毎日が悲しくてつらかったなあ。
それらの日々も何かを創ることと、美しい花や空や鉱石やレースを見ること、
音楽を聴くことで生きてきた気がします。
創り手というのは、己が傷から溢れる血を啜って虹を吐くのです。
悪夢であれ天上の美であれ、それが美しいことを祈りながら虹を吐くのです。

毒入り金平糖

菫の砂糖漬けというのがあるけれど、金木犀の砂糖漬けがあったら、色といい形といい、香りといい、毒入り金平糖のようでとても可愛い。
小さなケースに入れてポケットに突っ込んで、時折取り出してさりさりと食んだら世界はトパァズ色になる。
…そんなものが欲しくて昔調べたことがあったのだけど、商品として存在するのは「桂花醤」というシロップとジャムの中間のようなもので、香りはいいらしいのだけど色はすっかり褪色してしまっているし、あの愛らしい星の形もないのであった。
菫の砂糖漬けは確か花を湯で洗って水を切り、(ここで卵白をつける場合もある)グラニュー糖をまぶして日陰で乾かす…のだったと思うのだけど、金木犀も同じ製法で砂糖漬けにならないのだろうか。
金木犀は茎と蕊をとらないと苦いと聞いた記憶がある。

歪んだ時間

百日紅がまだ咲き残っているのに、夜には金木犀の香りがする。
今年の百日紅は盛夏を計り損ねて、花も小さく色もくすんでいる。
散りたいのに散れないような咲き方で、枝先に小さくしがみついている。
金木犀の姿は見えない。
おそらく枝にはもうわずかにでも花がついているのだろうけれど、
夜目ではまだ見つけることができない。
ただ香りだけが濃い。
真夏の花を残したまま、秋の香りが零れる。
歪んだ時間の中を わたしは歩く。

軽井沢

知人が参加している夏限定の企画店(グルメ系。知人はギネスとかフィッシュアンドチップスとかを出している)を覗きに、関係者各位と連れ立って軽井沢まで行ってきたのですが、さすが避暑地というだけあって驚くほど涼しかったです。
気温も東京マイナス8度~10度くらいは低かったのですが、なにより湿度が全然違う! 午後の風なのにさらさらしていて、でもほどよくやわらかいのです。
屋外のデッキの席に座ってさらさらと風に吹かれ、避暑地の実力を思い知る一行。
みんなでギネスやエールを飲みながら、
「涼しいねー」
「気持ちいいねー」
と贅沢な時間を過ごす。
しまいにはお酒のせいなのか、あまりに過酷な東京の猛暑と湿度の夜を思い出してか
「東京に帰りたくないよー」
「うわぁん、もうここ(軽井沢)のうちの子になるーー!」
とかよく判らないノリになってくる始末(笑)。
しかし帰らぬわけにもいかず、夕刻を前にすごすごと引き上げる一行。
さらに驚いたのは、蝉の声ひとつしなかったことと、蚊がいなかったこと。
高原だし、虫がいたらたいへんなことに(蚊アレルギーもち)と思い、サンダルを避けて長袖着て完全防備で行った自分が阿呆のようでした。
夏の間軽井沢の別荘に…なんていう話も納得したくなる避暑地の実力。
今度行くならせめて1泊2泊はしたいと思います。

泥を喰んで虹を吐く

何故だか判らないけど小さな鬱期に入った模様。
ストレスが溜まると「食う」人種と「「買う」人種がいるけれど、わたしは明らかに後者である(キルシェの相棒井上くんは明確な前者)。
お部屋を片付けて、何か綺麗なものでも買おう。
かおりのよいお茶も必須。
あとレースと白い木綿。
しかしわたしの場合作品というのはほぼ90%が鬱から生み出されている。
嬉しいことからは嬉しかったこと直球の一つしか作品にならないのだけど、
悲しかったことや傷ついたことからは10の作品が生み出せる。
泥を喰んで虹を吐く。
業深い性質だなあと思う。