「妄想サナトリウム」

妄想サナトリウム

妄想サナトリウム

サナトリウムなんて行ったことも映像を見たこともないのに、何故かわたしには幼い頃からその風景が記憶されている。白と白に近いほど淡い碧で塗られた木枠の窓と、鎧戸に似た壁面を持つ西洋風の古い建築。窓の上には三角の破風がついている。長じて思ったことは、記憶というよりこれは記録なのかもしれないということだった。わたしの記憶ではないのなら、これはわたしの魂が引き継いでいる記録なのだと。

わたしはその窓にかかる白く薄いカーテンをぼんやりと見ている。木枠の装飾を透かす曇天の薄陽と、カーテンをふわりふわりひらめかせる微風。幾度も塗りなおされてきたらしい平滑でない手触りの金属のベッドヘッドと、白い何の装飾もないカバーのかかった枕に背を預け、わたしはシーツの上にすわってそれを見ている。窓の外ではなく、ただ窓を見ている。

そんな「記録」のおかげで魂の憧憬の象徴と化していた木枠の窓。でもそんな窓がついた家に住めることなんて一生ないだろうと思っていたのだけれど、ある日突然「別に”家”についてなくてもいいじゃない」と何かが囁いた。
そしてやってきた解体家屋の建具、モール硝子入り木製扉1枚也。自力で白く塗って、窓の前に設置。ダイヤの形に切り取られたその一面があるだけで、部屋は一気に妄想サナトリウムと化す。

ダイヤ型の窓枠が朝の薄日を受けて白いカーテンに紗る。寝台の上に魂の半分を残してわたしはそっと起き上がる。開けていない偽物の窓の傍で、薄いロォンのカーテンが揺れる。

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木枠の扉/アンティーク(昭和の建物から解体されたもの)
すりガラス、モール硝子、透明ガラスを配した木枠のこれは実は窓ではなくて元・扉。下1/3くらいの面は木、上が硝子入り。初めてこれをベッドから見える窓の前に置いて眠った次の朝は、もう目が醒めなくてもいい、ここで死ぬ!もっかい眠ってそのまま死ぬ!って思ったくらいにはわたしのダイヤ枠の窓への思慕は強かったのであります。普通買わないよこんなもの、と呆れられても幸せだからいいんです。