ロザリオは薔薇の輪(花冠)表す言葉で、カトリックの一部で使われる祈りのための呪具。アクセサリーとして少し前から流行りのようですが、本来は首にかけたりするものではありません。ロザリオはいわば日本における数珠、数珠をアクセサリーにはしないのと同じことです(海外の古い写真で首にロザリオがかかっているものがたまにありますが、あれはSleeping-beauty、死者の写真であることが多いです)。
とはいえロザリオの形は完成されていて本当に美しく、繊細な細工のものもあり、身に装いたいという気持ちはよく判る。
わたしは幼少時少しだけ聖歌隊にいましたが、実のところ洗礼も受けていないし信仰する者でもありません。ロザリオや十字架などの意匠が何故だかずっと好きというだけの、言ってしまえば似非、否、似非にすらなっていないただの横好きです。だからというのではないですが、海外で日本のものが意外な使われ方をしているのと同じで、わたしもそのあたりは外様の理屈を通してしまうこともあります。それでも不思議とロザリオや十字架を見れば、意識のどこかが澄んだ場処へ誘われる感覚がある。
洋の東西を問わず、国籍も人種も問わず、一神教でも多神教でも神に纏わるものにはやはり独特の作用があるように思います。
ずいぶん昔に一目惚れして買ったロザリオケースとロザリオのセット。ケースの意匠はルルドのマリア、深い蒼のエナメルがのせてある。ロザリオは銀の薔薇ビーズ遣いで小さめ。気づくと手元にはかなりの数のロザリオがあります。信者でも何でもない者にこれだけの愛着を持たせるだけでも、何か視えない力がある証なのでしょう。
銀の薔薇ロザリオとルルドのマリアロザリオケース(イタリア製)/現代