感謝を込めて

そろそろ今年も終わろうとしていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今年はみとせはよくアルバムを出し、朗読やらなにやら新しいことにも挑戦し、迷いもありましたが新鮮な喜びもあり、慌しくも充実した1年だったと思います。
スタジオで音楽を表現することが中心になっていたここ数年でしたが、朗読会では久しぶりに皆様と本当に近くで同じ空間を共有することができて、なんだかとても懐かしく居心地のいい感覚を覚えました。

ライヴこそ来年なのでまだ行われていませんが、朗読会のパンフ数十部、ライヴのチケット百数十枚、一枚一部を自分の手でひとつひとつ確かめながらつくってみて、わたしはやっぱりこういうやり方が好きなんだなあと、こうやって自分の指先が届く範囲で、目や心が届く範囲で何かをするのが好きなんだ、ということにあらためて気がつきました。

チケットを1枚ずつ切って折って封をしながら、
「あ、わたし、帰ってきた」と思ったのです。

水溟宮でやっていたことやキルシェでやっていたこと、それらがやはり好きなこと、やりたい形の原型だったんだなあと。
ただその方法ではつくれる数も限られていて、わたしの手ではもう追いつけなくなった、そんな有難い状況になったからこそ、今の場所にいるのですが。

音楽を始めて気づけばもう20年近く経過していて、幸いにしてわたしはこうして音楽を続けられている。そんなに長くここにいるけれど、自分がこの先何処へ行くのかは実はまだ全然見えていません。
見えてはいないけれど、まだここにいたいと思うから、これから先に待つひとつひとつのことを、
チケットを1枚ずつなるべく正確に切って折って仕上げたように、どんなに非効率的だと言われても、目の前にあるものを指先で確かめながら進めて行きたいと、そんなことを思いました。
必ずしもそのやり方で実作業までできることばかりではないけれど、心でそれらをなぞることをこれまでもこれからも忘れない、それがみとせのりこのやり方なんだと思うのです。

チケットをつくらせて頂いて有難うございました。
ライヴへのお申し込みを下さったお客様に、都合がつかずに見送ったけれどそれを残念に思ってくださった皆様に、そしてわたしの音楽を聴いて下さっている皆様に、心から有難うと申し上げたい。
そんな気持ちをより確かにしたこの年末です。

所詮みとせはみとせでしかないので、来年もみとせらしくまったり頑張って参ります。
こんな阿呆で不器用なみとせですが、皆様の応援が何よりの原動力で心の栄養なので、よかったらあたたかく見守ってやって頂けると幸いです。

感謝を込めて。