◆[Note:05] 花嫁人形 [カタン<第二集>]

4曲目の「とおりゃんせ」から引き続き「カタン<第二集>」のホラーゾーン(笑)を形成する「花嫁人形」。ホラーといえば(?)この方、アレンジは鬼才・弘田佳孝さんです。弘田さんは前作の「無印カタン」でも「曼珠沙華」でひんやりとした怖いけれど美しい弘田節全開のアレンジをして下さいましたが、今回も同じ系譜に属するアレンジ。というか、さらに内向的に進化したというべきかもしれません。

この「花嫁人形」という曲、「花嫁」という人生で最もめでたく幸多い瞬間に関わるもののはずなのに、何故か曲調も暗く、詞にも婚礼に相応しからぬ「泣く」「切れる」などの言葉が続々と出てきます。どう聴いても幸せそうには思えない、と聴き進めていくと、花嫁御寮を唄っていたはずの詞は最後には人形にすりかわってしまう。なんとも不条理で不安で、だからこそ詩的な世界観。(この不条理だけど不安定で控えめに耽美な感覚、他にも何処かで…と思ったら作詞家の松井五郎の詞に同じ血を感じるのでした。)
似たイメージの曲に「うれしいひなまつり」などがあるのですが、唱歌の中にある女子の祝い事に関わる曲は何故か物悲しさを感じるものが多いのです。この矛盾は子供の頃からわたしの心の中に抑圧的なイメージを生み、独特の翳を残しました。
数多の悲しみや不条理を喉元へ押し込め、飲み下したそれは胎内で一種の呪いに似た感情に孵化する、この曲にはそういった「少女の業」のようなものを感じずにはいられない。「曼珠沙華」よりもさらに静謐に硬質に冷たく、肉体性を排除したかのようなアレンジと強い感情表現を抑えた声で語られる「花嫁人形」には、まさにその「秘めたる感情」が通底しています。しかし異性でありながらこういった感情や「業」を理解でき、表現できてしまう弘田さんという人は、やはり特殊な感性を持っているのだな、と思います。

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作詞は当時人気の抒情画家でもあった蕗谷虹児。挿絵画家、作詞家、フランスでの画家活動、戦後はアニメの製作にも携わったりと、様々な顔を持つマルチプレイヤー。当時の抒情画家はどちらかといえば幼さを残した夢見るような少女を描くことが多かったのですが、虹児の画はモダンでシャープ。渡仏生活から得た巴里のエスプリの反映、また、浮世絵の構図をソースとして取り入れていたという話もあり、独特の隙間感とダンディズムを感じさせます。
そして虹児は「抒情画」という言葉の生みの親でもあります。「抒情詩」があるのだから「抒情画」があってもいい、とそう言って、ただ状況を説明するだけの挿画に留まらず、画の中に感傷的な余韻を残し感情や想いを伝えるような絵を、ときの少女雑誌と挿画の新しいジャンルとして啓蒙したそうです。

そんな虹児のこの曲も、みとせのりこの好きな唱歌の五指(否両手…)に入る曲ですが、そうやって数えていくととにかく子供の頃からわたしは暗い曲が好きだったんだな~と呆れざるを得ません。
三つ児の魂どんより系。