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「流れて落ちる」

キータッセル

キータッセル

房が好きだ。和洋を問わずああいう形状のものを見ると何故か糸で手繰られたように引き寄せられてしまう。多色遣いのコントラストが美しいキータッセル、中国の朱い髪飾り、藤の花房、銀でできたビラ簪。鍵でもペーパーナイフでも懐中時計でも、房をつけるだけで100倍も好いものに見えてくるのだから不思議なものだ。

房という意匠が飛びぬけて好きだと自覚したのは10代半ば、海外のインテリア雑誌に載っていたカーテンや鍵につけたタッセルを見たときだ。シンプルなもの、二色づかいのもの、結び飾りのついたもの、タッセルの先にまた小さなタッセルやビーズをつけたものなど、仔細に見ると本当にいろいろなデザインがあって、その多様性がまたわたしの博物学的趣味を捉えたのだと思う。

よくよく思い出してみると七五三のときに挿していた扇やはこせこにも紅白の房や銀のビラがついていて、そのはこせこと扇だけは和箪笥に返さず自分の机の引き出しにしまっていた。それが未だに手元に残してあるのだから病膏肓に入るというものだ。

流れて落ちるものの靭さと儚さと華やかさとを備えた具象。水にも似、花にも似、長い髪にも似ている。わたしは零れ落ちる己が魂の彼方を、その流れの先に視る。その喪失感と幽かな痛みを繰り返すように、小さな房たちを蒐集する。

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愛用のマーカサイトの時計にも房、携帯電話のストラップにも房(おまけにルルドのマリアのメダイに菫青石、趣味全開すぎ)、家具についてる鍵にも房。バッグの持ち手にも房がついてることもあって、どれだけ房フェチなのかと自分でも呆れる。でも好き。